Nothing Else #1

 色々思いつくことはあるし、一応続けるには続けてるんだけどさ、整合性と質を保ちつつ文を綴るってのはなかなか難しいもんさ。思いついたことを形にするのにも才能が要るんだ。どれだけ素敵な物語を頭で作れても、それを形にできなきゃ人の心は穿てない。それはただの自己満足だ。――もちろんそれは悪いことではない。現にぼくだってこうして誰に宛てるわけでもなく、見せるわけでもないものをここに綴っている。それは紛れもなく自己満足だ。それ以外の何者でもない。

 だから今回は質も整合性も無視して、思いつくままにキーボードを打っている。たまにはそういうのも良いと思うんだ。こだわりを持ちすぎて、辞めてしまって腐ってしまってはなんの意味もない。「俺はこんなとこで終わりたくない」って気持ちがあるならさ、どんな拙いものであれ、作り続けて、“辞めてしまう”ってことを避けるべきだと思う。だから、身になるものも、意味のあるものも何一つないここで、さらに中身のないものが“これ”だ。

 考えることは色々ある、思いつくこともたくさんある。でもそれは浮かんでは消えていく有象無象で、自分の気づかないうちに忘れてしまっているものの方が多い。いつでもプロットを書き残せるわけじゃないからね。夢日記はできる限りつけているけど、後から見返したらワケが分からないんだ。夢なんてフワフワしたものを書き記したとて、後からそれを再現するのは至難の業だ。そんなワケで、下書きのないままここまで書き進めたけど、やっぱり書くべきことは思いつかなかったよ。

 そうだな、最近漫画を読んだんだ。不死の人間の話で、何をされても蘇る生物の話だ。その中で「でもそいつらは死ぬ」って言われてるんだ。そいつらは体がバラバラになったとき、一番大きい肉片を元に再生するらしいんだ。つまり断頭して首から上を吹っ飛ばせば、体から頭が生えてきて蘇るってことだ。

 人間の本質は心にある。では心はどこにあるか、心臓か? 違う。人間は考える。どこで考えてるか、脳みそだよな。――ちなみに心臓にその人の意思が宿ってることを示すような話もあるにはある――断頭して新しい頭が作られる。その頭は今この瞬間まで考えて生きてきた頭とは違うものだ。同じ生物ではあるが、人間としてそいつは死ぬんだ。なかなかに哲学的な話だけど、その作品の中で大きなテーマとしては扱われてはなかったな。なんせこの話が出てすぐに粉砕機に突っ込んで手から再生するって荒業をやってのけてたからね。「死んだんだぞ?」といわれて「気にしないさ」なんてケロっとしてたよ。

 それでふと思ったんだけど、今まで生きてきたぼくが、まったく同一の存在であるって保証はないんだよな。実のところ人間は寝る度に死んでいて、何らかの仕組みで記憶とかも引き継がれて生き返っていたり、知らぬ内に宇宙人に殺されて、証拠隠滅のために機械で作り変えられていたり、どっかに水槽に入ってるクローンがたくさんいたり。フィクションにばっか触れて生きてると、こういう突拍子のない考えには事欠かないもんさ。
 
 そんなこと考えたってどうにもなんないし、“自分という存在”なんてぼくにとってさして重要なもんじゃない。明日も歩く足、何かをする手、考える頭、それがあれば十分さ。でもまあ、朝起きたらもうちょっとハンサムになっててもいいかな。

 ここまで通しで書くのに、二十五分かかったよ。悪くはないんじゃないかな?

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