faster than fastest #2

 プレイリスト

 おおかた、ぼくらは最初の一歩を躊躇する。しかし踏み出してしまえば、案外平気なものだ。人間には、慣れという機構がある。とても便利な機能だ。

 最初の一を作ってしまえば、続きを作るうちにぼくらはそれに適応することができる。二を三に、六を七に。やがてはなんとも思わなくなるだろう。八十も九十も、大した違いではなくなるだろう。

 だが厄介なのは、ぼくらは何にでも慣れて適応できるということだ。慣れていくうちに、その対象に対しての抵抗は薄れていく。それは良くも悪くも、だ。

 出来心で盗んだ菓子パンは、やがては拾った菓子パンくらいにはなってしまうだろう。 それを咎めるものが何もなければ、きっと。

 話を戻そう。引鉄を引いたぼくらは、撃鉄が雷管を叩き、放たれた弾丸によって、効率的にあらゆるエンターテイメントを鑑賞できるようになった。

 だれかがゲームをしている。あらかじめダウンロード版を購入しておいた彼は、そのゲームの発売を心待ちにしていたようで、デスクにはケミカルな色合いの炭酸飲料がグラスに注がれている。ディスプレイの脇に置かれた携帯には、同じゲームをプレイする動画投稿者の生放送が映し出されている。チャイムが鳴った。どうやら出前を頼んでいたようだ。

 だれかが携帯を眺めている。ケーブルレスのイヤホンで耳を塞ぐ彼女は音楽を聴いているようだ。自動生成されたプレイリストを聴いているらしいが、シークバーやスキップボタンを触ってばかりいる。イントロや間奏が長い曲もギターソロも彼女の好みではないらしい。手が止まった。歌い出しから始まり、サビの繰り返しも2回だけの短い曲だ。

 だれかがアニメーションを見ている。彼はたくさんのそれを見ることを生きがいとしているようで、動画は1.5倍速での再生に設定されている。彼が見たい量に対して、彼の時間は不足しているようだ。携帯には二次元の美少女が何やらゲームをしている様子が映し出されている。アニメーションが映し出されているものとは別のモニターには、snsが開かれている。どうやら他人と感想を共有しているようだ。彼の背後には即席ものの食品や酒の空き缶が散らかっている。

 だれかが携帯を眺めている。友人と二人並び、無言で彼女達は携帯を睨む。眺めているのは60秒未満の短い動画だ。様々な分野の、様々な人達が作った動画のようだが、スキップボタンがよく押される。友人が話しかけながら動画を見せる。彼女たちと同じ年頃の女性が音楽に合わせて踊っている。どうやら自分達も同じことをやってみるようだ。ダンスは簡単で、そつなく踊りきった彼女達は慣れた手つきで動画を投稿する。彼女達はその曲を作った人も、歌詞の意味も知らないし、聴き込むこともないだろう。カメラロールには、同じような動画が埋もれている。

 余りあるコンテンツを消費する中で、ぼくらは“鑑賞”に対して慣れ過ぎてしまった。結果としてインスタントにそれを消費し続ける。作り手の意図したもの、伝えたかったものは軽視されるようになり、よりインスタントに消費できるものが好まれるようになった。

 価値観や常識なんてものは時代によって移ろい、変化し続ける。べつに滅ぼすべき大悪、ってわけではないと思う。どんなものも、美点と汚点、両方を併せ持っている。それとどう折り合いをつけるか、どう付き合っていくのが大事なんだとぼくは思う。

 かくいうぼくも、実のところ同じ穴のムジナだ。ながら見(二窓)も倍速もスキップもする。何かで手を動かしながら何かを見るし、動画投稿サイトにあふれた動画は、正直等速で見るには冗長過ぎると感じる。イントロが好みじゃなくても、サビはどうなっているのか気になる。便利なものは、とことん利用するべきだ。

 ただ、忘れてはいけないのは、“それはどこかの誰かによってつくられたもの”であるということだ。場合によっては何十人、何百人という人が関わっている。効率的で便利なものに依存しすぎて、作り手が伝えたかったもの、見てほしかったものを全て無碍にしてはいけない。

 真剣に向き合うべきだと感じたもの、芸術的な側面が強い作品は通しで鑑賞する。空白や間も含めて、一つの作品として成り立っているそれを、全て鑑賞したうえで、自分の感想を持つ。

 効率的な方法で摂取した作品も、作り手への応援や賛辞は惜しまない。誰でも発信できるということは、その分埋もれやすくなることも意味する。誰からの感想もないのに、創作物を作り続けるのは難しい。あなたの作品を見ている人がいる、ということは伝えなければならない。もちろん自分が特に気に入ったものは、できる限り通しでも鑑賞する。

 コンテンツの海に生きるぼくらは、“沈黙の加害者”になってはならない。どんな形でそれを享受するかは個人の自由だ。でも、リスペクトの心を忘れてはいけない。良いと思ったものに対して、ディスリスペクトであることはナンセンスだ。

 ぼくらは今日も明日も創作物の消費に事欠かない。果たしてそれらを、ぼくらは胸を張って好きだと言えるだろうか?


youtu.be


youtu.be

 せめて最初の一回だけは、彼女の右手に触れてはいけない。